都市伝説解体センターの結末が、どうしてああなったのかを考えていきます
都市伝説解体センターは、墓場文庫が開発、集英社ゲームズが発売した
ADVゲームです
ここから先は、本編の重要な内容及び、墓場文庫の過去作である
和階堂真の事件簿のネタバレを含みます
結末の内容を知らない場合は、最後までプレイしてから
読んで下さい
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ここで言う結末とはシナリオの結末であって、事件の結末ではありません
都市伝説解体センターの結末とは、四人が同一人物だったという部分です
あの結末になった理由は、開発者が明らかにしない限り分かりませんが、
推察する事は可能なので、自分なりに考えた事を書いていきます
今回推察するにあたって、追える限りのインタビュー記事や、公式SNSを
チェックしています
推察ポイント1:墓場文庫の過去作「和階堂真の事件簿」
和階堂真の事件簿でも、都市伝説解体センターのような
驚かせる仕掛けがある
処刑人の楔では、元警察官だったお爺さんが、孫に過去の事件の話を
聞かせる所から物語が始まるが、実は、孫の方が真だったという仕掛け
これは、事件そのものには関係が無い
孫が隠された真実を明らかにする、という点では関係あるが
隠し神の森もほとんど同じ仕掛けで、真だと思った人が祖父だった
これ自体も、事件と関係が無い
事件そのもののトリックで驚かせるというよりも、外側の
物語の根本の部分で驚かせるのが墓場文庫の形だと考えられる
推察ポイント2:開発秘話
都市伝説解体センターは、元々廻屋渉が都市伝説を調査をするという設定
それを、廻屋を安楽椅子探偵にすることで、福来あざみが生まれた
開発段階では、メガネで念視するのではなく、スマホのARアプリで調査を
するというもの
つまり、最初から同一人物の設定では作っていなかったし、
如月努のメガネの設定も後付けで足されたもの
推察ポイント3:パブリッシャー
和階堂真の事件簿は、元々無料で配信していたアプリゲームで、
採算も関係なく自分たちだけで完結していたが、
パブリッシャーが付いた事で、失敗が許さないという意識が生まれた
「ゲームが発売されるまでずっと不安だった」と言っているのは、
パブリッシャーが付いた事も理由として十分考えられる
推察ポイント4:パラノマサイトという存在
プロデューサーから直々に、「パラノマサイトをやれ」と言われるくらい
制作に影響した作品
同じ「オカルト」を題材とした「アドベンチャーゲーム」で、
比較対象になってしまうからこそ、話題になる要素を求めた
主にこの4つの理由から、あの設定を入れたと考えています
私がどうしてあの結末になった考える理由は、あの設定は
必要ないと思ったからです
必要がないと思う理由は、無くても成立するからです
<管理人=廻屋渉=如月努の弟> という図式で成立する
同一人物じゃないといけない理由が、どこにも見当たらない
実際、あの設定があったからこそここまで話題になったし、
あの設定が無ければ、ここまで売れる事もなかったはず
ミステリーにおいて、主人公が黒幕(犯人)は禁じ手に近いが、
同一人物という設定は、禁じ手そのものではないか?
同一人物という設定が無くても物語が成立するのに、
何故この禁じ手を使ったのかを想像すると、
「続編を作るつもりが無い」からこそ
インタビューでも「余すことなく作った」と言っているように、
一度きりだからこそ劇薬を使った可能性が高い
だからこそ、人によっては中毒症状のような反応になる人もいれば、
アレルギー反応を起こすような人もいる
耐性がある人は、何も感じないかもしれない
あの設定が必要ないと思った最大の理由は、「必要のない禁じ手を
使ったから」ではなく、「あの設定の説明が酷すぎたから」です
多重人格なのかを考える
ゲーム内では、多重人格や解離性同一性障害などの言葉は
一度も使われていない
精神疾患はデリケートなので、あえて使わなかったのだろうが、
「多重人格」ではなく「多重人格のようなもの」としたかったのか
多重人格は、強度の精神的ストレスから自己防衛のために、
記憶などを切り離すというもの
ゲーム内の伏線と説明の矛盾点
6話で如月努の日記に「頭の中がうるさい」と言っていると記載
*両親が亡くなった精神的苦痛によって、切り離された人格
*如月努が亡くなった精神的苦痛によって、切り離された人格
これで如月歩の中に二人の人格が形成されたのは、整合性が取れている
しかし、富入警視監の説明では
「兄をモデルにした人格を生み出し、さらに自分の理想の妹を生み出した」
意図して人格を作ったのであれば、多重人格とは言わない
主人格である如月歩が、副人格である福来あざみを操っていたなら
多重人格ではないし、演じ分けていただけでしかない
無くても成立する上に、その設定の説明さえ無茶苦茶なのだから、
必要ないと思うのは当然
どうしてここまで言うかというと、結末の前までは面白かったから
この設定のせいで、廻屋の最後の言葉が薄れてしまうのが残念